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2009年11月12日

どうも、かつをです。

さて、この世界的な不況はアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが60兆円以上の借金を作って潰れちゃったことから始まりました。すごいねー。

同じ投資銀行のゴールドマン・サックスの今年の平均年収が先日ネットニュースで流されてたんだけど、70万ドル(1ドル93円として約6500万円!)だって。すごいねー。


さて、今日は世界同時不況の元凶となった、リーマンを放置プレイして破綻させたFRB、米財務省とか、アメリカ国民の血税たる公的資金を注入され といて巨額の報酬を貰っている強欲極まりない投資銀行マンを批判するとかそういうどうでもいいことではなくて、万人に共通する人生の経済的なゴールたる経済的独立について書きたいと思います。


僕は以前から常々、人生の目標は経済的独立をできるだけ早く実現することだと言ってきました。

経済的独立っていうのは、会社にも国にも誰にも依存せずに自分と家族を守るだけの資産を築くこと。


具体的にはどういうことかっていうと、例えばあなたがゴールドマン・サックスの社員とします。藁

今年のあなたの給料が6500万円として、500万円を生活費に当てれば残りの6000万円は資産運用に回せますね。

この6000万円を運用した結果、7%の利回りが得られたとすると、420万円の利益です。


毎年これくらいの利益をあげることができれば、来年もしゴールドマン・サックスが潰れて失業したとしても自分と家族が何とか生きていける計算になりますね。

逆にいえば、経済的独立が達成出来ていれば別に働かなくてもいいし、働いてもいい、すべてはあなたの自由です。


自由っていうのは単なる観念などではなく、個人の経済力から生み出されるものなのだ。


ちなみに世界市場に国際分散投資した場合の年平均リターンがだいたい6~9%ですから、利回り7%というシミュレーションには一応それなりの根拠はあります。


これが僕が目指している経済的独立の概要です。


ここに世界にたったひとつのお金持ちの方程式があります。


お金=(収入-支出)+(資産×運用利回り)


この方程式を見ると、お金持ちになるにはたった3つしか方法がないことが分かります。

1.収入を増やす
2.支出を減らす
3.運用利回りを上げる



1と2は極めて個人的な問題で一般化できませんが、3は実はノーベル経済学賞受賞者たちによる経済学的に正しい答えがあります。


これらを基に人生設計というものを一緒に考えていきましょう。


それでは、次回以降ファイナンスについて書いていきたいと思います。



ぼくはトーシギンコウカになりたい。一万かぶもってる人がいたら、ぼくがそれを売ってあげる。おカネがたくさんもうかる。ぼくはしごとがとてもとてもすきになる。ぼくはみんなをたすけてあげる。ぼくは大がねもちになる。大きないえをたてる。
たのしいだろうな。

一九八五年三月にミネソタの小学生(七歳)が書いた作文『大きくなったら何になりたいか』より


参考文献
お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門
お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門
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investor46 at 20:30金融日記
こんちには みさなん おんげき ですか? 

わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげは たごんを にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? 

ちんゃと よゃちめう でしょ?


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investor46 at 20:26科学日記徒然日記
ああ、金、金!この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!

トルストイ



お金と神様はよく似ている。


お金が価値を持つのはなぜだろう?


1万円札が価値を持つのは、福沢諭吉の肖像画が描かれているからでも、特殊なインクが使われているからでもない。

ただの紙切れに価値があるのは、誰もがそれに1万円の価値があると信じて疑わないからだ。

誰も信じなくなれば、ただの紙切れと一緒だ。

ただの紙切れに価値があるというのはたんなる幻想過ぎない。

どうせ幻想なのだから、別にお金はその辺に落ちている石ころでも貝殻でも構わない。

今やお金は1万円札などの現金だけではなく、預金通帳に記された、たんなるデジタルデータにすら価値があると信じられている。


大事なのは実体のないものに価値があると認める信仰心だ。


貨幣経済とは、貨幣を神と崇める宗教である。


神の姿をこの目で見ることができないのと同様に、お金の実在を客観的に証明することもできない。


理屈の上では、1万円札は日本国の資産を担保に発行されている。

かつて、お金の担保として中央銀行は金(ゴールド)を保有していたが、現在では日本国債を担保にお金を発行している。

国債というのは国家の借用証書で、それを持っていくとお金と交換してくれる。


お金は国債によって担保され、国債はお金によって担保されている。


これは新興宗教の教祖が、

「私が神であることは、神である私が知っている。」

と言うことと同じ理屈だ。


なんの根拠もないが、信じるのはその人の勝手だ。


シェイクスピアは、

「お金とは眼に見える神である」

と言った。


お金を神とするならば、貨幣経済は唯一の世界宗教だ。


世界には国ごとに異なる”神”がいるが、その神々は一定の比率で交換可能である。


キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、お金を神と崇める世界宗教から自由になることはできない。

僕たちがこの世で生きていくためには、好むと好まざるとにかかわらず、この奇妙な宗教の信者になるほかない。

日本人が日本国を信用しなくなると、日本円という貨幣の価値が低下する。


日本の”神”を、海外のもっと魅力的な”神”と交換したいと考えるからだ。


人が

「紙切れはしょせん紙切れに過ぎない。」

と気づいた時に、貨幣制度は崩壊する。


幻想が剥がれてしまえば、1万円札もただの紙切れと変わらない。


貨幣制度は共同幻想によって支えられている。


お金にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。


ヒトが一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく自然を前にして、貨幣の多寡に何ほどの意味もない。

だがその一方で、僕たちの人生が夢や幻によってつくられていることも否定できない。


なぜなら人は幻想から現実を創造する生き物だからだ。


貨幣経済のもとでは、お金という幻想を拒絶して生きていくことはできない。


社会や世界は幻想でしかないが、僕たちはその中でしか生きられない。


人々はお金で貴いものは買えないという。
そういう決り文句こそ、貧乏を経験したことのない何よりの証拠だ。

ギッシング


参考文献
得する生活―お金持ちになる人の考え方
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investor46 at 20:23金融日記
どうも、かつをです。


さて、今日は僕たちの暮らす日本が採用している資本主義というシステムを見てみましょう。


アメリカの金融危機に端を発した、世界同時不況のせいで資本主義が何かと批判されてるみたいですが、僕個人としては資本主義がとても大好きです。

結論から言うと、資本主義(Capitalism)というのは、最も効率的にたくさんお金を稼いだやつが勝ちっていう、とてもシンプルなゲームです。

経済学者の岩井克人は繰り返し、資本主義は差異から利潤を生み出す原理だと述べています。

貨幣の誕生とともにはじまった商人資本主義では、空間的な差異(場所による値段の違い)が利潤の源泉になった。

青森県でリンゴが一個100円、東京で一個300円で売られているとすると、一個150円で青森のリンゴを仕入れ、それを東京のスーパーで一個250円で販売すれば、儲けることができる。

この仕組みに気がついた企業家の登場によって、青森のリンゴは値上がりし、東京のリンゴは値下がりして、その価格差は輸送費・保管料に人件費を加えた金額まで縮小するだろう。

産業革命によって生まれた初期の産業資本主義では、都市と農村の賃金格差が利潤の源泉になった。

労働者の時給が日本では平均1000円で中国では100円だとすれば、中国で工員を募集したり、工場そのものを中国に移転してしまうことで企業は大きな利益を得ることができる。

後期産業資本主義では、それに時間的な差異(未来と現在の違い)が加わった。

19世紀半ばまで、人々は馬車や人力車しか移動手段を持っていなかった。

イノベーションは、未来の現実(蒸気機関車や自動車、飛行機の発明)を先取りして、現在の馬車道をハイウェイに変えていくことだ。

20世紀後半になると、情報通信技術からバイオテクノロジーまで、科学の発展や技術革新から莫大な富が創造されるようになった。

資本主義っていうのは、このように市場に存在するあらゆる差異(価格の歪み)から利潤を生み出す原理だ。

企業家とは、市場の歪みに誰よりも早く気づいて、利己的な動機から金儲けを企み、結果として市場を効率化させ、社会の富を増大させる者のことをいう。


この自分勝手な欲望が人々の幸福につながる不思議な仕組みのことを、アダム・スミスのいう「神の見えざる手」と呼びますね。


皆さんの中には資本主義を格差拡大の元凶だとか、弱肉強食の冷酷なイメージがあったりして、忌み嫌っている人もいるかもしれません。


でも、お金儲けをしたいという欲望を実現するためには、人々の欲望を満たしてあげなければいけません。

なぜなら、資本主義という、いつ終わるか誰も分からないようなゲームでは、誰かからお金を盗んだり、強奪するよりも、協調した方が効率的にお金を稼げるからです。


つまり、資本主義というのは、周りを蹴落として自分だけが得をしてやろうとするような弱肉強食な競争ではなく、誰が最も効率的にたくさん人を幸せにするかという競争なのです。






資本主義(capitalism)が悪いんじゃない。資本主義が半分しか完成していないのが問題なのだ。

ムハマド・ユヌス(2006年ノーベル平和賞受賞)


参考文献
臆病者のための株入門 (文春新書)
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investor46 at 20:19金融日記
どうも、かつをです。


さて、今日は「生きる意味」という深遠なテーマについて迫ってみたいと思います。笑


僕達の生きてる意味って何なんでしょうか?


いったい、何のために生きているんでしょうか?


自分の幸せのため?

大切な人のため?

社会のため?

それともお金のため?


単純に考えれば、「人は幸福のため」に生きている。

これは、きっと正しい答えだろうけど、でもそれがなんだと言うんだろう?

自分はいずれ死んでしまうし、大切な人だっていずれかは死んでしまうし、そもそも人類だっていつかは滅びてしまう。


自分が何をやっても、あるいはやらなかったとしても、それは無意味だし無価値だ。


「人は幸福のために生きている」というのは公理みたいなもの。

公理というのは、証明はできないけども、誰が見ても明らかに正しいもののことを言う。


では、正しさの根拠をどこに求めれば良いのか?


生物学的には、すべての生物は自らの遺伝子をたくさんコピーすることだ。

これは生物学的には正しいけど、だからといって、この通りに行動すれば幸せになれる保証はない。

そもそも、生物は化学的な反応によって、もっとたどれば物理的法則に基づいて活動している。

なら、物理法則に正しさの根拠を求めれば良いのか?


でも、物理法則なんてものに意味なんてない。


そこにあるのはただのルールだけだ。


そもそも、化学反応だって物理法則に則ったただのルールだし、遺伝子をたくさんコピーするというのもDNAにプログラミングされたただのルールだ。

DNAのルールに従って活動しているヒトという生物が創り出した社会だって、そこにあるのはただのルールだ。


結局、どこにも意味なんてない。


でも、「生きる意味」を問う前に、そもそも意味を問うことの意味ってあるんだろうか?

意味なんて「ない」とか「ある」とか言ったりするけど、だとしたら「ある」って何だろう?


ここにドーナツが「ある」。

でも、ドーナツの穴は本当にあるのか?

ある?

けど、ドーナツがなくなったら、ドーナツの穴もなくなるよね?

だとしたら、ドーナツの穴は「ある」というより、むしろドーナツによって「作られている」と考えるべきだ。


「ある」には二通りの意味が「ある」。

一つはドーナツのように、それだけで「ある」という状態。

そしてもう一つは「ドーナツの穴」のように、なにかが「ある」ことによってはじめて「ある」という状態が生じる状態。

そうやって考えて行くと、「意味」というのはいわば「ドーナツの穴のそのまた穴」ということに気がつく。

まず精神というのが肉体というドーナツの穴で、そしてその精神の穴が、意味。

精神というのは肉体があってはじめて「そこにある」ものだし、そして意味というのは精神があってはじめて「そこにある」。


意味というのは「ある」というより、精神によって「あられる」ものということ。

要するに、「生きていることに意味があるか」という問いは、まるでドーナツの穴が、「ドーナツはあるか?」って問うてるようなものだ。


生きていることに意味があるんじゃなくて、生きているから意味も「ありえる」。


意味というのは、意識すれば何にだって「ある」、というより「見出される」。

例えば、一万円札。

これは人が勝手に一万円の価値が「ある」と「意味づけている」。

世の中の皆が「ただの紙切れ」と思った途端、一万円札から「一万円の価値」という意味はなくなる。

だからといって、そこに一万円札の紙切れがなくなることはない。

じゃあ、どうしろって?

それこそ、僕達の仕事じゃん?

自分の人生に意味をつけるのは。

でも、確かなのは、人は意味を見出すのが大好きな生き物ってことと、意味を付けるというのはとっても楽しいということ。

「あって当たり前」だったものが実は「なかった」ら、確かに苦しいし空しい。

でも「元からなかったもの」が作れたり見つかったりするのはうれしいし楽しい。


「生きる」は「ある」ことに対しては、「意味」よりずっと強い。


だから、たとえ「生きる意味」が見出せなくても、それは別に気にすることでもないし、悲観する必要もない。



と僕は「生きる」を意味づけている。笑



「踊るんだよ」羊男は言った。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。」


ダンス・ダンス・ダンス(上)、村上春樹


参考文献
404 Blog Not Found:意味の有無を問う(無)?意味


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investor46 at 20:14
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